嵐は朝の訪れと共に去ったようだった。ようだった、というのは、モニカは夜半に激しい雨音を聞きながら眠ってしまい、次に目を覚ました時には、辺りはすっかり明るくなってしまっていたからだった。
男たちが留守の間、女たちは普段よりも多くの仕事をこなさなければならないが、生活自体は男たちがいる間よりもずっと気楽だった。この土地の女は男たちに従順だが、性根はやさしい。昨晩遅くまで編み物をしていたモニカを普段通りの時間に起こす者はいなかった。モニカがまだ少し寝ぼけた頭で皆の元へ行くと、ジクリットがくすくすと笑い、「お寝坊モニカが来たわね」と言った。「今日だけは許してあげる。さあ、外を手伝っていらっしゃい。昨夜の嵐で柵が壊れてしまったの。男手が戻るまでに、応急処置だけでもしておかなくちゃ」
「嵐、すごかったわね」モニカは応えた。「奥様は? お子はお生まれになったのかしら」
ジクリットも、他の女たちも、不思議そうな顔をした。
年嵩のアンゲリカが吹き出した。「まだ寝ぼけているの? まだ九月目よ。随分と気が早いわねえ、モニカ」
「昨夜、産婆を呼んだじゃない」モニカは応えた。女たちは揃って笑い、そんなことはなかったと言った。そうして笑われているうちに、モニカの目も覚めてきて、夢と現を混同した勘違いに頬を赤く染めて首を横に振り、外へ飛び出した。
空は鮮やかに青く、雨の雫を含んだ緑が、日の光にきらきらと輝いていた。平原はどこまでも果てしなく、森は深く豊かだ。モニカは普段そうするように、女神ダナに、その夫ラインに、その娘である豊穣と四季と護国の三乙女に、感謝の祈りを捧げた。遠くの教会も村の家々も、雨の名残を被って、ますます輝かしく見える。ああ、いい日だ。おかしな夢を見て朝のうちを眠って過ごしてしまったのが、もったいないくらい。
壊れた柵の場所へ行くと、同い年のマグダレナと、近くに住む農夫の息子がいた。この二人は仲がよい。力仕事は苦手だからと、マグダレナが彼を呼んだのだろう。
「手伝えを言われて来たのだけれど」モニカが言うと、マグダレナが応えた。「二人でじゅうぶんなのに。どうせジクリットでしょう? 自分が男に人気がないからって、あんたを差し向けて、あたしたちの邪魔をするんだわ」
農夫の息子が愛想よく笑った。「まあまあ、そう言うなよ。早いところ終わらせて、今度は俺の方を手伝ってくれ」
「俺の方って?」
「村はずれの空き家が崩れたんだよ。餓鬼の遊び場だったから、放っとくわけにもいかなくて」
「大変そうね」マグダレナが言った。「あんたがやらなきゃいけないの?」
「俺だけじゃないけどさ。そうだ、昼飯つくってくれよ、マギー。親父も会いたいって言ってるし」
「いいわ! でも、高いわよ」
モニカが口を挟んだ。「応援してるわ。お似合いだもの」
マグダレナはもう機嫌を直していた。「じゃあ、手伝いに来てくれたからには早く終わらせなくちゃね! 釘が足りなくなりそうなのよ。納屋から持ってきてくれない?」
「いいわ」モニカは頷いて納屋に向かった。納屋に近づくにつれて、何故だか少し気分が高揚した。モニカは首を傾げた。中は暗くて狭いし、埃臭いし、何もいいことなんてないのに。
しばらく開けていないはずの納屋の扉が、わずかに開いていた。モニカは不審に思いながら開けた。
やはり、中は暗くて狭いし、埃臭い。視線が自然と、何かを探すように彷徨う。古い農具や道具がいくらかあるが、夏のはじめに大掃除があったため、中のものは少ない。モニカは中に入って、工具箱を取り出した。下に置いて蓋を開け、釘を探す。
物陰に、場違いなものがあった。籠と、葡萄酒の瓶と、麺麭。モニカは籠を手に取って眺めてみた。
麺麭は少し湿気っているが新しいもののようで、葡萄酒の瓶には開けられた形跡がない。誰かがここにいたのだろうか。家のものが知らない間に入り込んだ者がいたとしたら大変だ。モニカは釘を取って工具箱を元に戻し、籠を一緒に持って納屋を出た。
相変わらず仲のよさそうなマグダレナたちに釘を渡して、家へと戻る。どうしたのと聞かれたので「邪魔しないでって追い払われたわ」と答えると、女たちはまたくすくすと笑った。男のいない家は、自由でいい。
「その籠は?」
「納屋にあったのよ。誰かいたのかしら」
「あら。厨房にも汚れた布が落ちていたの。盗人が出たのかも」
「食べ物を探していたのかしら。でも、手をつけられていないわ」
「何にしろ、なくなったものがないか、確かめてみた方がいいわね」
それぞれの仕事が一段落する昼前に全員が集められて、家中を探しまわった。なくなったものはないようだった。結果を聞いた女主人が、「明日からは戸締りに気をつけることね」と言った。「納屋には常に鍵をかけるようにしましょう。もちろん、裏口も、夜にはちゃんと。男たちが戻るまで、わたしたちがこの家を守らなければいけないのよ」
艶やかな髪を丁寧に結び、九月目の大きな腹の重さに負けず、女主人は堂々と立っている。モニカはその姿に、一瞬、何かを思い出しそうになったけれど、空想はすぐにぼやけて消えてしまった。夢の名残だろう。確か、お子が産まれる夢をみたのだったわ。
「納屋の様子を見たのは、モニカ?」
「はい。奥様」
「鍵をかけるついでに片付けを頼みたいのだけど、いいかしら」
「はい。もちろん」
女主人は、自室の椅子が壊れてしまったのだと言った。昨日まで、何ともなかったはずなのに、と首を傾げて。
壊れた椅子は、女主人が結婚の際に持ち込んだ舶来品だった。北の海の向こうの国でつくられた、繊細で珍しい細工の木工品で、年月の艶がなんとも深く優美だったが、今や、座面には深い罅が走っている。脚が折れ、断面は触れれば指を切るかという程に鋭く見えた。まるで槍のように。
「不思議ね。でも、もう古いものだから。重くはないと思うけど気をつけてね」
「わかりました」
モニカは椅子を持ち再び納屋へ向かった。
中空にある太陽に、世界はきららかに輝かしい。教会の鐘が昼を告げ、驚いた鳥が塔から飛び立っていく。
この素晴らしい景色をきっと祝福と呼ぶのだろうと、ふと、モニカは思った。
《鋼の帝国》年代記
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夜は深く、雨は強く