流星のように現れ、野火のように国を喰らい尽くそうとする王がいた。
 正確には彼はまだ王ではなかったが、いずれ王になるだろうと囁かれていた。というのも、彼は立ちふさがる総ての敵に、平等に、敗北と死を与え続けているからだった。そして今や、古の神の血を引く偉大なる王――即ち、現代では帝国の主であり、皇帝の号を冠する唯一の王――さえ脅かしつつある。
 彼は戦乙女の祝福を受けたのだと、はじめに歌ったのは、或いは酔った詩人だったかも知れない。だがその噂は瞬く間に広がった。市井に。路地裏に。国中に。
「何の冗談だ? 小僧」
 マルセルは大男を見上げて言った。「だから、俺も戦う。仲間に入れてくれよ」
「馬鹿言えよ。手前ェみたいな貧弱な餓鬼、足手まといだ」
 大男は手で追い払う仕草をした。
 マルセルは彼を睨みつけ、それから周囲を見渡した。元は空き家らしい薄汚い平屋には人間が溢れている。
 募兵所だった。といっても正規軍ではない。落伍兵や年嵩の者、外国人や無法者などが集団の体をなしているだけだ。戦乱が激化し続けている今、そうしてつくられる傭兵団は幾らでもある。周囲には、お世辞にも人相がいいとは言えない男達がたむろしている。必ずしも造形の問題ではない。多くは容貌に戦の傷を残していた。そうでない者も、常人とは佇まいが異なっていた。まるで使い古された分厚い鋼の武具のような。
「頼むよ。俺は」マルセルは諦めずに言った。
 大男はうんざりとした顔をした。鼻筋にうっすらと残る古傷が歪む。「うるせえな」
「俺は!」遮られる前に叫ぶ。「俺は勝ちたいんだ」
 大男は、少し意外そうに眉根を寄せた。彼はがりがりと頭を乱暴に掻いて、周りの傭兵達を見渡した。「そりゃ、負けてぇ奴はいねえさ」
「だろ? なんとか考えてくれよ」マルセルは言った。意外と話が通じるかも知れない、と思いながら。「別に負け続けの人生だったわけじゃないさ。でもさ、わかるだろ。国がこんなでさ、あっちこっちで戦いがあるっていうのに、暢気にしてられるかよ。今が機会なんだよ。なあ、わかるだろ。俺は勝ちたいんだ。それも、ただの勝ち馬乗りじゃない。故郷じゃ一番の腕自慢だったんだ」
「…………」
「はじめから、あんたみたいな歴戦とおなじように戦えるなんて思い上がっちゃいないさ。だけど役立たずなんかじゃない。決して」
 大男はため息をついた。「正規兵の募兵所でおなじこと言ってこいよ。お前みたいな目ェきらっきらさせた若造が列をつくってるだろうけどな」
「正規兵じゃ出世できない」
「こっちじゃ、餓鬼の子守はできない」大男は言った。
 マルセルは、うまくいくと思ったのにと少しがっかりしながら、次の言葉を考えた。
 自分の動機は、まさしく今言った通りだった。辺鄙な農村に埋もれて一生を終えるより、戦場で華々しく名を上げたい。そうして歴史に名を刻んだ英雄は、幾らでもいる。建国帝が抱えていた五人の勇士のうち二人は田舎育ちの兄弟だし、あの隻腕の勇者だって平民から貴族になった。戦乱の世には、そういう可能性がある。自分だってできるかも知れないじゃないか。華々しく戦って、野火の王の目にとまる、そういう可能性が。
「何がいけないんだよ」マルセルは半ば噛み付くように尋ねた。もう五箇所で断られて、後がなかった。「俺が若いから? もう十五だ」
「お前みたいなのはすぐ死ぬ。役に立たない」
 大男はきっぱりと言った。近くで、傭兵達の一人が、耐え切れないというようにげらげらと笑った。ずっと忍び聞いていたのだろう。振り向いたその男は、明らかな嘲りの目でマルセルを見た。
「何だよ」マルセルは彼を睨んだ。相手は余計に笑みを深めたが、何も言わずにマルセルから視線を外した。マルセルは拍子抜けした。一発や二発くらい殴られることは覚悟していたのに。遅れて気づいた。そんな手間をかけるほど相手にされていないだけだと。
「死なない! 俺は簡単には死なない!」マルセルは叫んだ。
 一瞬、周囲が静まり返った。人相の悪い傭兵達が、何事かというようにマルセルに注目していた。マルセルは彼らを等しく睥睨した。目の前の大男。にやにや笑っている男。古傷がある男。隻眼の男。髭面の男。極端に痩せた男。彼らはみなマルセルを眺めていた。例外は、奥でつまらなそうに書類を眺めている一人だけだった。
「……じゃあ」大男は嘆息した。「誰か一人選べ。勝ったら考えてやる」
「お前、相変わらずお人好しだな」髭面が呆れた声で言った。大男は渋面をつくった。「うるせえな」
「待ってろ、小僧。手加減がうまい奴を何人か連れてきてやる」
「馬鹿にするな」マルセルは男を睨んだ。
 大男はまた頭をがりがりと掻いた。
 髭面が言った。「ベルトラム、責任取ってお前がやれよ」
「俺は戦場以外では餓鬼を殴らねえ」
「ご立派なことで」髭面は首を横に振った。それからふと気づいたように、尋ねる。「戦場ならいいのか」
「何言ってんだ? 敵は敵だ。みんな平等にぶっ殺す」
 髭面は肩を竦めた。理解できない、という様子だった。きっとこの男は戦場でなくても子供を殺すのだろう。
 マルセルは思った。こんな男に機会が与えられていて、俺にはないなんて、そんなのはおかしい。第一、俺より弱そうな奴だって何人かいるように見える。
「一番強いのは誰だ」マルセルは言った。「俺はそいつと戦う」
 勝てなくても――心の隅に打算があった。勇気を見せれば認められるかも知れないと。或いは死ぬかも知れなかったが、大男は、その前に相手をとめてくれるだろう。彼はそうしてくれそうな気配があるし、何より、ここは郊外とはいえ街中だ。一般人は近寄りはしないが、遠目に人通りはある。人殺しは、簡単には起こらないはずだ。
 大男は渋面をつくった。
「そういや、さ」口を挟んだのは、今まで近くで話を聞いていた他の男だった。「誰が一番強いんだ?」
「っていうか、どうしてお前が仕切ってんだよ」更に他の男が言った。ベルトラムは「募集をかけたのは俺だぞ」と相手を睨んだ。
「それだけだろ」更に誰かが言った。場はあっという間に声で溢れた。腕っ節しか頼る者がなく、正規兵にもなれない男達の集団において、力とは即ち権威だ。誰が強いかという話になれば、そう簡単には引けなくなる。
 マルセルの言葉には、マルセルが意図した以上の効果があった。望みとはかなり異なる方面に、だが。
 騒ぎはマルセルを放って進行し、やがて、じゃあせっかくだから誰が一番強いのかこの場で決めようじゃないかという流れになった。ついでに、誰が一番偉いのかも、それではっきりさせればいいんじゃねえの、とも。
「俺も参加する」マルセルは大男に言った。
 ベルトラムは数秒間、マルセルを見下ろしてから頷いた。「よし、手伝え」
「え?」
「口答えするな」大男はマルセルを引きずって、募兵所の中へ向かった。やる気満々で腕まくりをしている連中だの、余裕を見せて椅子にふんぞり返っている連中だのの間を抜けて、最奥へ。奥には事務用らしき一角があり、そこでは、さっきマルセルに一瞥もくれなかった男が、まだ書類を眺めていた。
「おい」
 ベルトラムが彼に呼びかけた。男は彼を横目にした。随分と見目のよい男だった。「何?」
「そこの紙、切れ。細く」
「……」男は無言で、机の上の紙切れを何枚か重ねて、高価そうな短剣で裁断し始めた。
 マルセルが尋ねた。「どうするんだ、それ」
「籤をつくる。ほら、小僧、この紙片と筆を持って、周りの連中に名前書かせてこい」
「何で俺が」マルセルは文句を言いかけて、やめた。細長い紙の束を持って歩き回る間、こっそり自分の名前を紛れ込ませたって、きっとわからないだろう。マルセルは文章は読めないが、自分の名前くらいは書ける。
 実際に紙を持って回ってみると、反応は幾つかにわかれた。勢い込んで筆を取る者と、煽られて仕方なくといった感じでおなじことをする者、失笑して辞退する者。何人かはマルセルの目論みに気づいているらしく、にやにや笑いと「せいぜい頑張れよ」というような言葉を浴びせてきた。彼らは最初の印象ほどは排他的ではないらしい。
「俺にもあんな時代が……」という冗談じみた声が聞こえたような気もするが、続きは他の音に掻き消されてわからなかった。子供扱いされているようで自尊心が圧迫される。これでも故郷では負けなしだったのに。家畜を狙う狼だって追い払ったことがある。群れから逸れた一頭を、だが。だけど。同年代で、それをできる奴がどれだけいるっていうんだ? 皆無ではないだろう。でも、多くはないはずだ。
 マルセルは、名前か、名前代わりの記号や絵を記された紙の束を持って、奥の机に戻った。もちろん自分の名前も紛れ込ませた。
 奥では先ほどの二人が何やら話していたが、マルセルを見ると、大男は会話を中断させて立ち上がった。
「よし、じゃあ、対戦決めるぞ!」
「おっさんは書かないのか?」マルセルは思わず尋ねた。
 ベルトラムはマルセルを睨んだ。「俺は審判だ」
 この男が審判では、マルセルの名前を見た途端に参加を却下されかねない。
「あんたが公正に見れるのかよ。そっちの奴の方が、それっぽいだろ」マルセルは、もう一人の男を指さした。さされた男は切れ長の目でマルセルを眺めた。マルセルは一瞬、その視線の冷たさにぞっとした。
「彼は恐らく、きみの不利になることはしないだろう」男が無感情な声で言った。
「そういうわけだ」ベルトラムが頷いた。彼は野生の獣のように笑って表へ向かって行った。
「今度こそ始めるぞ! おら、そこ場所開けろ!」

 最強決定戦のようなものはそうして幕を開けた。三戦目までは殴り合いだったが、四戦目で片方が武器を持ち出した。中止どころか賭けが始まって、いよいよ盛り上がってきた。マルセルは武器を持っていない方に賭けて、懐を暖かくした。昔から、こういう賭けには滅法強いのだ。
「稼いでるな、坊主。後で奢ってくれよ」隣で若い男が言った。
「考えとく」マルセルは答えた。それから次の勝負を待った。
 ベルトラムが、箱の中から籤を引き抜く。「えーっと、この印は……誰だ!? この足がいっぱいある牛書いた奴は」
 籤をひらひらさせて周りに見せると、一人が「牛じゃねえ! 虎だ!」と声を上げて立ち上がった。くすんだような赤毛の男だった。「南の国の伝説の獣だぞ。すげえ強いんだ、知らねえのか!?」彼は大男から籤を奪い、周りに見せつけるように掲げてみせた。
 胴体まで貫通するように描かれた沢山の足、頭には二本の角と、鋭い牙がある。悪魔か化物にしか見えない。これが実在するのだとすれば、南の国とは恐ろしい場所だ。マルセルは、半ば妄言だと思って聞き流すことにした。
 ベルトラムは頭を掻いた。彼の癖なのかも知れない。「何でもいいけどよ。前に来い、スヴェン」
 スヴェンと呼ばれた男は、即席の試合場となっている場所に出た。試合場と言っても、募兵所に使っている小屋の前の道だ。比較的、土地に余裕がある郊外のため、道幅は広い。
 先ほどから、近所の住民と思しき人々が、遠巻きに様子を窺っている。通れなくて迷惑しているのか、単純に、柄の悪い集まりに迷惑しているのか。両方だろう。だけど、とマルセルは思った。兵士は荒くれているものだ。国のために戦うのだから、迷惑なんかじゃない。
「相手は?」
「ああ、そうだった」ベルトラムは、スヴェンが持っている絵から胡乱気な視線を外した。明らかに下手なのだが、一度見ると、変に気になる絵だ。大男はわざとらしい咳払いをしてから、再度、籤を引いた。彼は文字を見てわずかに目をみはった。「カスパール・シュッツェ。……お前いつの間に」
「記憶にない」答えたのは、さっき籤を切っていた男だった。彼は相変わらずつまらなそうに言った。「同名の誰か?」
 マルセルは、そんなわけがないだろうと思った。単純に、嫌われているか何かだろう。マルセルも昔、村の、自分より弱い少年に似たようなことをされて、祭の片付けを押し付けられたことがある。あの少年の卑怯さにも、説明しても理解しない大人にも、ひどく嫌気がさしたものだった。
「他におなじ名前はいないから安心しろ。出るのか、出ないのか?」
「出なければ?」
「不戦敗で、もう賭け金を払い終えた連中に殴られるだけだな」
 カスパールはわずかな沈黙の後、立ち上がり、スヴェンの前へ出た。
 賭けの受付に時間を取ってから試合が始まった。もうどちらが主目的なのかわからないが、儲けられる機会があるのはいいことだ。双方が武器を使わず、結果はカスパールの十秒勝ちだった。マルセルはまた財布の中身を増やした。
「才能あるな」さっきの若い男が呆れたような声で言った。
「賭けは得意だ」マルセルは答えた。
 若い男は首を横に振った。「いや、勝ち馬乗りの」
 含みのある言い方だ。
「お前、何を……」
「ミッターだ」
 マルセルが睨むと、相手は苦笑した。笑い顔には少年の名残りがあった。「流れに乗れてる内はいいだろうな」
「…………」
「戦を生業にしてみるとさ、どれだけうまく立ち回ったつもりでも、時には逆境にぶち当たる」
「それは」マルセルは言い返した。「戦だけじゃない」
「お前みたいに危険に聡い奴は普通よりうまく立ち回る。だが、失敗は必ずある」
「俺は失敗しない」
「するさ。誰でも」ミッターは苦笑を深めた。マルセルは、こいつ俺と大して歳は変わらないのに、と思った。大人に言われてもむかつくが、同年代にわかったような、偉そうなことを言われると、余計に癇に障る。
「賢いつもりで小賢しく逃げ続けてきた奴ほど、退路を断たれた時に脆い」
「俺は……逃げたりしない」
 ミッターは肩を竦めた。会話の間に一戦が終わった。賭けそびれていたことに気づいて、マルセルは舌打ちした。だが勝敗は、マルセルの予想とは逆だった。
 ついにマルセルの名が呼ばれた。大男は声を上げる前に、嘆息した。マルセルにはその意味がわからなかった。やっぱりな、とか、仕方ねえなとか、そういうような意味だと思った。
「あのさ」マルセルが立ち上がると、ミッターがまた言った。「傭兵なんてのは、最後に選ぶ仕事だ」
「…………」
 マルセルは無視して試合場へ出た。相手は、さっき、子供を殴る話で笑っていた髭面だった。あまり気が進まない様子で、しかし煽られて名前を書いていた。彼のような人物なら喜んで参加するだろうと思っていただけに意外に思ったことを覚えている。
「手加減しねえぞ」
「いらない」マルセルは精一杯に鋭く答えた。向かい合っているだけで威圧を感じていた。狼を追い払った時と似た、躯の内が冷えるような感覚。同年代と喧嘩をするのとは違う。皮膚が危険を察知して鳥肌が立つ。マルセルは今になって自分が甘かったことに気づいたが、それを強引に意識の底に沈めた。あの時は――群からはぐれた狼に、松明を持って立ち向かった時は、うまくやれた。あの時、俺は英雄だった。今だって。
「殺すなよ」審判役のベルトラムが言った。
 髭面は答えた。「努力はする」
 マルセルは身構えた。そしてすぐに敗北を知った。

 マルセルが気づいた時、既に総ての勝負は終わっていた。片付けられていた試合場にはまた椅子だの荷物だのが散乱していて、傭兵達は好き勝手に屯していた。
「起きたな」言ったのはミッターだった。彼は先ほどと変わらぬ涼しい顔で、「だから言ったんだ」と告げた。「逃げた先にも、試練はあるのさ」
 ベルトラムが気づいて近づいてきた。「意識ははっきりしてるか?」
「あ、ああ」マルセルは頷いた。本当は少しぼんやりして現実に実感がなかったが。「俺、負けたのか」
「そうだ」ベルトラムは頷いた。「歩けるか」
 マルセルは立ち上がった。足元はふらつかなかった。顔を上げる。「大丈夫だ」
 ベルトラムは告げた。
「じゃあ、帰れ」
「え」
「勝ったら入れる約束だ。坊主、お前は負けた」
「だけど」胸の奥に吐き気を覚えた。約束は約束だ。だが、こんなはずじゃない。「だけど、俺は恐れず戦った!」
「そう言う奴から死んでいくんだ! すぐに死ぬ兵士はいらない!」大男は怒声でマルセルの言葉を遮った。
 マルセルは唖然とした。相手から目を逸らせぬまま、視界の隅に味方を探したが、誰もいなかった。向けられるのは冷めた表情ばかりだった。
「俺は……勇敢に戦える」
 負けたが、立ち向かってみせた。少なくとも、そのことだけは証明した。
「無理だ」大男は言った。「お前には無理だ」
 ミッターが口を挟んだ。「だからさ、ここは最後に来るところなんだ。他を全部試して、駄目になってから。実力と成果の他、たとえば正義とか勇気とか、一生懸命やったとか、誰かのためだとか、そんなものは糞だってわかってからさ、後がなくなって、目ェ血走らせて来るところなんだよ」
「…………俺の、何がいけないんだ」
「そういうところだ」ベルトラムが言った。彼は肩を竦めて離れて行った。「おい、隊長殿。書類はできたか? 今日中に提出しないと次の攻城戦の先遣に入れないぞ」
「ほとんど書き終えた」答えたのはカスパールだった。彼は用紙を大男に渡した。
 ベルトラムは顔を顰めた。「できてねえだろ。ここの空白は何だ」
「団体名」カスパールは答えた。「どうする?」
「どうするって、適当に書いちまえよ」
「……」カスパールは一瞬、思案のような表情を浮かべたが、続けて言った。「任せる」
「おいこら」
「さっき言った通り、采配は総てきみに任せる。名前も含めて」
 ベルトラムは呆れ声で言った。「……わかった。とりあえず籤つくれ」
「随分と籤が好きなようだけど、きみ自身の意見は?」
「お前が言うな。いいか、広い視野は、多くの意見を集める寛容さから生まれる。籤ってのは合理的なやり方なんだ。それとも、ぐずぐずしてると“ぽかぽかひまわり隊”にしちまうぞ!」
「じゃあ、それでいい」
 他の傭兵が慌てて叫んだ。「馬鹿やめろ早まるな!」
「じゃあさっさと籤つくれよ!」
 マルセルはそのやりとりを呆然と眺めていた。
 俺はうまくやりに来たんだ。あんな田舎で終わりたくない。目覚しく戦って、野火の王の目に留まり、そして英雄になるために。
 マルセルは乱暴な足取りで二人に近づいた。ミッターが肩をつかもうとしてきたのを振り払う。
「あんたが隊長になったのか」
「そうらしい」カスパールは答えた。冴え冴えとした目に、マルセルに対する興味はなかった。
「あんたも、俺は駄目だと言うのか」
「好きにすればいい」
「おい」ベルトラムが割り込んだ。カスパールは彼を一瞥もせず続けた。「けれど彼らが言う通り、きみは死ぬだろう」
「どうして」
「彼らの優しさを理解しようとしないから」
「な……」
 マルセルは絶句した。ベルトラムがカスパールに耳打ちし、カスパールは頷いた。
 ベルトラムの合図で、近くにいた何人かがマルセルの腕や肩を掴んで、募兵所の外に出した。
「ほら、あっち行け」一人が告げる。もうここにも望みはない。五カ所で断られ、ここでも駄目だった。
「なんで」
 マルセルは往生際悪く叫んだ。そうせずにはいられなかった。
「なんでだ! 俺とあんたたちと、何が違うんだ!? 俺が弱いからか、餓鬼だからか! 俺は戦えるのに! 俺はまだ強くなれる。英雄にだって。栄光を夢見て何が悪いんだ! 今は剣で叶えられる時代だ! 勝ち馬乗りなんかじゃない、俺が戦って手に入れるんだ!」
 傭兵達は顔を見合わせた。
「違う」嘆息混じりに告げたのは髭面だった。マルセルは、どういう風に彼に負けたのか思い出せなかった。「俺たちは、うまくやっているように見せれば評価されるだろうなんて、本気では思わない。もちろん、やろうとはするけどな。でもその場を間違えない」
「もうこれしかないんだよ」他の一人が言った。「不利な戦場からは逃げる。悪辣な雇い主からもだ。だけど、もっと逃げるにはもう行き詰ってんだ。誤魔化しは通じない」
 マルセルは視線を彷徨わせた。助けはない。
 小屋の中で、大男が彼の隊長に何かを言っているのが見えた。「……隊長らしく……っきり言ってやれよ」
「……わかった」
 カスパールは立ち上がって、その場からマルセルを見た。鮮やかな眸は空白のように凪いでいた。
 平坦な声が、響く。
「ここにきみが求める栄光はない。殺して殺して殺して殺して、その先に、そんなものがあるはずがない」
 マルセルは彼の言葉ではなく、ただ虚ろのような声音に気圧された。
「……帰れ」
 最後に告げたのはベルトラムだった。
 マルセルは息を呑んで、せめて一矢を報いようと言葉を探した。
 見つからなかった。
 彼らに背を向ける屈辱は、村を飛び出した時とおなじだった。

 半年後、マルセルは彼らが全滅したことを知った。
 彼らは新しい王に雇われていた。そして、古い王との決戦の際、決死隊として敵の横腹に突撃して深く牙を立て、その代償に首をかっ捌かれたのだそうだ。教えてくれたのは、手足を一本ずつ失った傷痍兵だった。マルセルは杖を支えによたよた去っていく彼を見送ると、拳を握りしめて天を仰いだ。
 彼らの優しさは、きっと、こういうことではなかったはずなのに。

 マルセルは故郷へ戻った。家族は急に飛び出したきりだった息子の帰還に困惑したが、マルセルが戦乱で荒れた畑を耕し直し始めると、彼を認めて愛した。
 やがて地味だが気立ての良い娘を嫁にもらい、時折の天災や不作に耐え忍びながら家を豊かにし、五人の子を残して、彼は一生を終えた。
 子には常に、大地に根ざして生きる者が逃れられぬ困難を、いかに受け入れ、乗り越えるかを説いていた。